
対抗宗教改革とは、16世紀にカトリック教会が宗教改革に対抗して行った内部改革とプロテスタントへの反撃のことです。マルティン・ルターの宗教改革が広まり、多くの国でプロテスタントが勢力を拡大する中、カトリック教会もただ黙っていたわけではありませんでした。
では、対抗宗教改革はなぜ行われたのか? そしていつから始まり、どのような内容だったのか? 詳しく見ていきましょう!
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対抗宗教改革が本格的に始まったのは16世紀中頃です。特に1545年のトリエント公会議が、その大きな転換点となりました。
宗教改革によって、ルター派やカルヴァン派が誕生し、カトリック教会の権威は大きく揺らぎました。特にドイツやスイス、イングランド、オランダではプロテスタントが急速に拡大し、多くの地域でカトリック信仰が衰退していきました。
このままではヨーロッパ全体がプロテスタント化する可能性があったため、カトリック教会は自らの信仰を守るために対抗宗教改革を進める必要があったのです。
もともとルターの宗教改革は、カトリック教会の腐敗を批判したことから始まりました。特に免罪符の販売や聖職者の堕落は、大きな問題とされていました。
そのため、カトリック側も教会内部の改革に乗り出し、信仰の純粋さを取り戻そうとしたのです。
カトリック教会は、プロテスタントの批判に対抗するためにトリエント公会議を開催しました。ここでは、以下のような決定がなされました。
この公会議によって、カトリック教会は教義の明確化と内部改革を進めることになりました。
1534年に創設されたイエズス会は、対抗宗教改革の中心的な役割を果たしました。彼らの活動は以下のようなものでした。
イエズス会の活動によって、カトリック信仰はヨーロッパだけでなく世界中に広がることになりました。
カトリック教会は、異端(プロテスタントを含む)を取り締まるために異端審問を強化しました。特にスペイン異端審問では、多くの人々が裁かれ、プロテスタントやユダヤ人が迫害されました。
1559年には、カトリック教会が禁書目録(Index Librorum Prohibitorum)を発表し、プロテスタントの書物や科学的な研究を禁止しました。
これにより、ルターやカルヴァンの著作だけでなく、科学者ガリレオの著作などもカトリック教会によって危険視されることになったのです。
対抗宗教改革は、プロテスタントの拡大に対抗するためにカトリック教会が教義を強化し、内部改革を進めた運動だったんですね! トリエント公会議やイエズス会の活動によって、カトリックは再び勢力を盛り返し、ヨーロッパの宗教対立はさらに深まっていったのが興味深いですね!