
宗教改革といえばルター派とカルヴァン派が有名ですが、実はもう一つ大きな流れがありました。それが改革派教会です。
「ん? ルター派とカルヴァン派はプロテスタントだけど、改革派教会もプロテスタントなの?」と思うかもしれませんね。そうなのです。実は改革派教会はカルヴァン派と深く関わりがあり、しばしば同じものとして扱われることもあります。とはいえ、すべてが同じではなく、独自の特徴も持っていました。
では、そんな改革派教会とはどんなものだったのでしょうか? この記事では、改革派教会の成り立ちや特徴について分かりやすく解説していきます!
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まずは、改革派教会とは何かを押さえておきましょう。
改革派教会は、主にジャン・カルヴァン(1509 - 1564)の教えを受け継いだ教会のことを指します。カルヴァンの影響を強く受けた地域では、単に「カルヴァン派」と呼ばれることもありますが、広義にはスイスやオランダ、スコットランドなどで発展したプロテスタント教会を指して「改革派教会」と呼びます。
ルター派がドイツや北欧を中心に広がったのに対し、改革派教会はスイスやフランス、オランダ、スコットランドなどで影響力を持ちました。どちらもカトリックの権威を否定し、聖書を信仰の拠り所としましたが、改革派教会はより厳格な聖書解釈を重視したのが特徴です。
では、具体的に改革派教会はどのような特色を持っていたのでしょうか?
予定説は、カルヴァンの神学の中心的な考え方でした。これは「人が救われるかどうかは、神によってあらかじめ決められている」という教えです。この考え方は、特にスイスやオランダの商工業者の間で支持されました。
偶像崇拝を徹底的に排除し、礼拝は非常に質素なものになりました。カトリックのような豪華な聖堂や華やかな儀式はなく、説教が中心です。また、礼拝堂には装飾がほとんどなく、聖像や絵画も置かれませんでした。
改革派教会では、聖職者の権威を極力排除し、「長老制度」を採用しました。これは、牧師だけでなく、信徒の代表(長老)が教会の運営に関与する仕組みです。これにより、教会は民主的な組織へと変わっていきました。
この教会の考え方は、ヨーロッパ各地に広まりました。
改革派教会の発祥地ともいえるスイスでは、特にジュネーヴが拠点となり、カルヴァンの神学が広まりました。この町は「プロテスタントのローマ」とも呼ばれ、宗教改革の中心地となったのです。
フランスではユグノーと呼ばれるカルヴァン派の信徒が増えました。しかし、フランス王室はカトリックを支持していたため、ユグノーは激しい弾圧を受けることになります。
オランダではオランダ改革派教会が生まれました。スペインから独立する際に、カトリックから改革派へと宗教が転換し、国の基盤となったのです。
スコットランドでは、ジョン・ノックス(1514 - 1572)がカルヴァンの教えを広めました。こうしてスコットランド長老派教会が誕生し、国内のキリスト教はカトリックから改革派へと移行していきました。
改革派教会は、宗教改革の流れの中で生まれたプロテスタントの一派で、主にカルヴァンの神学を継承した教会です。特徴としては、予定説の重視、シンプルな礼拝、民主的な教会運営が挙げられます。
この教会の考え方はスイスを起点に広がり、フランス、オランダ、スコットランドなどに大きな影響を与えました。こうして見ると、改革派教会は単なる「宗派」の一つというよりも、ヨーロッパ社会の構造にも深く関わっていたことが分かりますね。