
イギリス宗教改革と聞くと、大陸で起こった宗教改革とは何か違う印象を受けませんか? 実は、そのきっかけからして大きく異なっているんです。ドイツやフランスの宗教改革がカトリック教会の教義や権威への批判から始まったのに対し、イギリスでは政治的な理由が大きな要因となりました。では、一体どのようにしてイギリスの宗教改革が始まったのでしょうか?
今回の記事では、イギリス宗教改革の背景や、大陸との違い、そのきっかけとなった出来事について詳しく見ていきましょう。
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イギリス宗教改革とは、16世紀にイングランド王ヘンリー8世(1491 - 1547)によって推進された宗教改革のことを指します。ドイツのマルティン・ルター(1483 - 1546)による宗教改革とは異なり、教会の腐敗批判が主な動機ではなく、王の個人的な問題と政治的な決断が中心にありました。
大陸の宗教改革は、カトリック教会の教義や免罪符の販売といった問題が発端でした。一方、イギリスの場合、宗教的な理由よりも王権の強化が目的だったのです。この違いが、後にイギリス独自の宗派であるイギリス国教会の成立へとつながっていきました。
イギリス宗教改革の最大のきっかけは、ヘンリー8世の結婚問題でした。彼は最初の妻であるキャサリン・オブ・アラゴンとの間に男子をもうけることができず、後継者問題に悩んでいました。そこで、彼はキャサリンとの結婚を無効にし、新たにアン・ブーリンと結婚しようと考えたのです。
しかし、離婚にはローマ教皇の許可が必要でした。ところが、当時の教皇クレメンス7世はこれを認めませんでした。キャサリンはスペイン王家の出身であり、当時のスペイン王カール5世(神聖ローマ皇帝)が強い影響力を持っていたため、教皇は簡単に認可できなかったのです。
教皇に離婚を認めてもらえなかったヘンリー8世は、ついに1534年に国王至上法(首長令)を制定し、イングランドの教会をローマ教皇の支配から独立させました。こうしてイングランド国教会が成立し、国王が宗教の最高権威となったのです。
イングランドがカトリックから分離したことで、国内ではカトリックと国教会の対立が深まりました。ヘンリー8世の死後、その息子エドワード6世(1537 - 1553)の治世ではプロテスタント化が進みましたが、次の女王メアリー1世(1516 - 1558)はカトリックに復帰し、宗教弾圧を行いました。
最終的にエリザベス1世(1533 - 1603)の時代にイギリス国教会が確立されました。彼女はカトリックとプロテスタントのバランスをとる政策をとり、国民の宗教的対立をある程度抑え込むことに成功しました。
イギリス宗教改革は、単なる宗教の分裂ではなく、王権と宗教の関係を大きく変える出来事でした。その後のイギリスの政治体制にも影響を与え、やがて議会制民主主義の発展にもつながっていったのです。
こうしてみると、イギリスの宗教改革は「信仰」の問題というより、「王の結婚問題」から始まったという点が面白いですよね! でも、結果的には国家と宗教の関係を大きく変え、今のイギリスにも影響を残す大事件だったわけです。歴史って意外なところから動き出すものですね!