「95か条の論題」といえば、宗教改革の始まりとなった有名な文書ですね! 1517年にマルティン・ルターが発表し、カトリック教会の腐敗を批判したことで、ヨーロッパ全体を巻き込む大改革へとつながりました。

宗教改革と異端審問。この二つは深く関わっています。宗教改革が起こる前から異端審問は行われていましたが、宗教改革の影響でその形は大きく変化し、カトリック教会による弾圧が激しさを増すことになりました。
では、異端審問とはそもそも何だったのか? そして、宗教改革によってどのように変化していったのか? 詳しく見ていきましょう!
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異端審問とは、カトリック教会が「正統な信仰」に反する考えを持つ者を裁くために行った宗教裁判のことです。
主な目的は、
などであり、中世から行われていたこの審問は、宗教改革の時代に大きな変化を遂げました。
1517年にルターの宗教改革が始まると、カトリック教会はプロテスタントを異端と見なし、弾圧を強化しました。
特に、スペインやイタリアでは「プロテスタントの書物を持っているだけで異端」とされることもあり、異端審問が活発に行われました。
スペインでは、すでに1478年にスペイン異端審問が始まっていましたが、宗教改革後はプロテスタントやユダヤ教徒、イスラム教徒への弾圧が強まりました。
宗教改革の影響で、カトリック教会は正統な教えを守る姿勢を強め、科学者たちとも衝突するようになりました。
例えば、
といったように、宗教改革は異端審問をより厳格なものにし、学問や思想の弾圧にもつながっていったのです。
宗教改革はカトリックの権威を揺るがしましたが、それに対抗する形で異端審問がさらに強化されたんですね! プロテスタントへの弾圧だけでなく、科学や哲学の分野にも影響を与えたというのが興味深いですね!