宗教改革から読み解く異端審問の歴史

宗教改革異端審問。この二つは深く関わっています。宗教改革が起こる前から異端審問は行われていましたが、宗教改革の影響でその形は大きく変化し、カトリック教会による弾圧が激しさを増すことになりました。

 

では、異端審問とはそもそも何だったのか? そして、宗教改革によってどのように変化していったのか? 詳しく見ていきましょう!

 

 

異端審問とは

異端審問とは、カトリック教会が「正統な信仰」に反する考えを持つ者を裁くために行った宗教裁判のことです。

 

主な目的は、

 

  • カトリックの教えに反する信仰を排除する
  • キリスト教社会の統一を守る
  • 教皇や聖職者の権威を維持する

 

などであり、中世から行われていたこの審問は、宗教改革の時代に大きな変化を遂げました。

 

宗教改革による異端審問の変化

プロテスタントへの弾圧

1517年にルターの宗教改革が始まると、カトリック教会はプロテスタントを異端と見なし、弾圧を強化しました。

 

特に、スペインやイタリアでは「プロテスタントの書物を持っているだけで異端」とされることもあり、異端審問が活発に行われました。

 

スペイン異端審問の強化

スペインでは、すでに1478年スペイン異端審問が始まっていましたが、宗教改革後はプロテスタントやユダヤ教徒、イスラム教徒への弾圧が強まりました。

 

異端審問と科学の衝突

宗教改革の影響で、カトリック教会は正統な教えを守る姿勢を強め、科学者たちとも衝突するようになりました。

 

例えば、

 

  • ガリレオ・ガリレイ(1564 - 1642)は地動説を唱え、異端審問にかけられた
  • ジョルダーノ・ブルーノ(1548 - 1600)はカトリックの教えに反するとして火刑に処された

 

といったように、宗教改革は異端審問をより厳格なものにし、学問や思想の弾圧にもつながっていったのです。

 

まとめ

宗教改革はカトリックの権威を揺るがしましたが、それに対抗する形で異端審問がさらに強化されたんですね! プロテスタントへの弾圧だけでなく、科学や哲学の分野にも影響を与えたというのが興味深いですね!