
「宗教改革」と聞くと、ドイツのマルティン・ルターやスイスのカルヴァンを思い浮かべるかもしれません。しかし、イングランドでも宗教改革は大きな影響を与えました。特にヘンリー8世による宗教政策は、イングランドの政治や社会を大きく変えることになったのです。では、宗教改革はイングランドにどのような影響をもたらしたのでしょうか?
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イングランドで起こった宗教改革は、他の国々と少し異なる特徴を持っていました。
イングランドの宗教改革はヘンリー8世(1491 - 1547)によって主導されました。彼は、カトリック教会から独立し、自らが最高指導者となるイングランド国教会を設立したのです。その背景には、彼が王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を望んだものの、ローマ教皇がそれを認めなかったことがありました。
1534年、ヘンリー8世は国王至上法(首長法)を制定し、イングランド国教会をローマ・カトリック教会から独立させました。この法律によって、イングランド国内の宗教の決定権はローマ教皇ではなく国王にあるとされたのです。これにより、カトリックの影響力は大きく後退し、国王の権威が強まりました。
国教会の設立は、イングランドの社会や政治に大きな変化をもたらしました。
ヘンリー8世はカトリックの力を弱めるため、1536年から修道院解散を進めました。修道院の財産は没収され、国庫に組み込まれたのです。これにより、カトリック教会の土地や富が国王のものとなり、新たな支配層の形成につながりました。
宗教改革の後も、イングランドではカトリックとプロテスタントの間で対立が続きました。特に、ヘンリー8世の娘であるメアリー1世(1516 - 1558)はカトリックに戻そうとし、プロテスタントを弾圧しました。一方、彼女の妹エリザベス1世(1533 - 1603)は国教会を強化し、イングランドをプロテスタント国家として確立したのです。
宗教改革はイングランドの政治にも深く関わっていました。
国教会の成立により、国王が宗教政策を決定するようになりました。これにより、国王の権力が教皇から独立し、国内の政治にも大きな影響を与えたのです。
イングランドがプロテスタント国家となったことで、カトリック諸国との関係は悪化しました。特に、スペインのフェリペ2世はイングランドをカトリックに戻すため、1588年に無敵艦隊(アルマダ)を派遣しました。しかし、エリザベス1世率いるイングランド海軍はこれを撃退し、イングランドのプロテスタント国家としての地位が強固になったのです。
宗教改革はイングランドの未来にも影響を及ぼしました。
16世紀末から17世紀にかけて、国教会の改革を求めるピューリタンが勢力を拡大しました。彼らはカトリック的な要素を完全に排除しようとし、やがて清教徒革命(1642 - 1651)へとつながっていきます。
イングランド国教会の成立とピューリタンの活動は、後にアメリカ植民地へも影響を与えました。特に、ピューリタンの一部は信仰の自由を求めて新大陸へ渡り、北米の植民地社会を築くことになるのです。
宗教改革は、イングランドをプロテスタント国家へと変えました。ヘンリー8世の宗教政策がきっかけとなり、その後も国教会をめぐる対立が続いたのですね。そして、この影響はイングランド国内にとどまらず、海外の植民地やヨーロッパの国々にも広がっていきました。こうしてみると、宗教改革は単なる宗教の問題ではなく、政治や国際関係にも深く関わる大きな出来事だったといえるでしょう。