トリエント公会議の目的と内容|いつどこで誰により開かれた?

トリエント公会議は、16世紀にカトリック教会が宗教改革に対抗するために開いた重要な会議です。この公会議をきっかけにカトリックの改革が進み、プロテスタントに対抗するための方針が決まりました。

 

では、この公会議はいつ・どこで・誰によって開催され、どんな目的と内容を持っていたのかを詳しく見ていきましょう!

 

 

トリエント公会議とは

トリエント公会議(1545年~1563年)は、カトリック教会がプロテスタントの台頭に対抗するために開いた会議です。これはカトリックの教義を明確にし、教会の改革を行うことを目的としていました。

 

開催された場所はイタリア北部の都市トリエント(現在のトレント)で、当時のローマ教皇パウルス3世の指導のもとで行われました。その後も数十年にわたって複数の教皇が関与し、公会議の決定が進められていきます。

 

トリエント公会議の目的

この公会議の最大の目的は、宗教改革に対抗するため、カトリックの教えを明確にし、教会の腐敗を正すことでした。特に以下の3つが重要なテーマとされました。

 

プロテスタントの教義への対応

マルティン・ルターやジャン・カルヴァンなどが唱えたプロテスタントの教えは、カトリックの伝統的な考え方を否定するものでした。そのため、カトリックは「どの教義を守り、どの部分を改革するのか」を決める必要があったのです。

 

トリエント公会議では、プロテスタントの「信仰のみ」「聖書のみ」という考えを否定し、伝統と教会の権威を改めて強調しました。

 

カトリック内部の改革

カトリック教会内部の腐敗が、宗教改革の大きな原因となったこともあり、公会議では教会の改革が重要な議題となりました。

 

特に、免罪符の販売が大きな問題とされ、これを全面的に禁止する決定がなされました。また、聖職者の質を向上させるために、各地に神学校(セミナリオ)を設置し、神学教育を強化する方針も決まりました。

 

カトリック教義の明確化

宗教改革の影響で、人々の間に「信仰とは何か?」という疑問が生まれていました。そのため、公会議ではカトリックの教えを再確認し、

 

  • 聖書の解釈は教会の権限であり、個人の判断には委ねない
  • 信仰だけでなく、善行も救いに必要である
  • 七つの秘跡(洗礼・聖体・堅信・告解・終油・叙階・結婚)はすべて正当である

 

という内容を決定しました。カトリックの教義をはっきりと打ち出すことで、プロテスタントに対抗しようとしたのです。

 

トリエント公会議の開催の経緯

いつ開催されたのか

トリエント公会議は、1545年から1563年までの長期間にわたって行われました。ただし、一度に継続して開かれたわけではなく、以下のように3つの会期に分かれています。

 

※箇条書き:全トリエント公会議の内容
第1会期(1545年~1549年) : 教義の確認が中心
第2会期(1551年~1552年) : プロテスタントとの対話を試みるも失敗
第3会期(1562年~1563年) : 教会改革の具体策を決定

 

この間にローマ教皇が3人も交代し、会議の方向性が変わることもありましたが、最終的にはカトリック教会の方針を確立する形で終了しました。

 

どこで開催されたのか

公会議が開かれたトリエントは、当時の神聖ローマ帝国領でした。この地が選ばれた理由は、イタリアとドイツの中間地点にあり、カトリックとプロテスタントの双方にとって参加しやすい場所だったためです。

 

しかし、実際にはプロテスタント側の指導者はほとんど参加せず、カトリック側の意見が中心となる会議となりました。

 

誰が主導したのか

トリエント公会議を主導したのは、当時のローマ教皇パウルス3世です。彼は、宗教改革の影響で揺らぐカトリックの権威を回復するため、公会議の開催を決定しました。

 

その後も、ユリウス3世ピウス4世といった教皇が会議を引き継ぎ、最終的にカトリックの立場を明確にする形で会議が終了しました。

 

トリエント公会議の影響

トリエント公会議の決定は、カトリック教会の改革を進めるだけでなく、ヨーロッパ全体の宗教情勢にも大きな影響を与えました。

 

カトリックの立て直し

この公会議をきっかけに、カトリック教会は自己改革を進め、免罪符の販売禁止や聖職者の教育強化などを実施しました。これにより、カトリックの信頼は一部回復し、プロテスタントに対抗する対抗宗教改革の流れが本格化しました。

 

プロテスタントとの対立の激化

公会議では、プロテスタントの考えを完全に否定する決定が下されました。そのため、カトリックとプロテスタントの和解は困難となり、ヨーロッパでは宗教戦争が続くことになります。

 

イエズス会の活動拡大

公会議の決定を受け、イエズス会が積極的に布教活動を展開しました。特に、アジアや南アメリカなどの地域でカトリックの勢力を広げる動きが加速しました。

 

 

こうしてみると、トリエント公会議はカトリックがプロテスタントに対抗するための大きな転換点だったんですね! 教義を明確にしつつ、教会の改革を進めることで、カトリックの立場を守ろうとしたのが興味深いです。結果的に宗教戦争につながった点も、歴史の大きな流れを感じさせますね!