イギリスとドイツの宗教改革の違い3つ

宗教改革は16世紀のヨーロッパ各地で起こりましたが、ドイツとイギリスではその経緯や目的が大きく異なっていました。同じ「カトリックからの離脱」という動きでも、背景や結果に違いがあるんです。

 

では、ドイツとイギリスの宗教改革はどのように違っていたのでしょうか? この記事では、特に重要な3つの違いに注目して解説していきます!

 

 

ドイツとイギリスの宗教改革の違い

①きっかけの違い

ドイツの宗教改革は、カトリック教会の腐敗に対する信仰上の反発が中心。マルティン・ルター(1483 - 1546)が「95か条の論題」を発表し、「人が救われるのは信仰によるものであって、免罪符のような金銭ではない」と主張したことがきっかけです。つまり、宗教的な問題が主な動機でした。

 

一方、イギリスの宗教改革王の個人的な問題と政治的な理由が発端。ヘンリー8世(1491 - 1547)が王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を望んだものの、ローマ教皇に認められなかったため、教皇の権威から離脱してイギリス国教会を作ったのです。つまり、政治的な問題が主な動機だったわけですね。

 

②宗教の変化の違い

ドイツの宗教改革では、ルター派をはじめとするプロテスタントが誕生し、カトリックとは異なる新たな教義が確立されました。例えば、ルター派では「聖書のみ(聖書の教えが信仰の唯一のよりどころ)」や「万人祭司(すべての信者が神と直接つながれる)」という考えが重視されました。つまり、信仰のあり方そのものが大きく変わったのです。

 

一方、イギリスの宗教改革では、カトリックと大きく異なる新たな教義が生まれたわけではなく、「政治的な独立」がメインでした。それというのもヘンリー8世は教皇の権威を否定しましたが、実は教義自体はカトリックに近いものだったんですね。後のエリザベス1世(1533 - 1603)の時代にプロテスタント色が強まりましたが、それでもイギリス国教会はカトリックの影響を多く残しているのが特徴なのです。

 

③教会と国家の関係の違い

ドイツの宗教改革では、ルターの影響を受けた各地の領邦(小国のようなもの)がカトリックから独立し、プロテスタントの国が生まれていきました。しかし、ドイツ全体がプロテスタントになったわけではなく、カトリックのままの領邦もありました。これが原因で宗教戦争が起こり、最終的に1555年のアウクスブルクの和議によって「各領邦の君主が自分の国の宗教を決める」というルールが定められました。

 

一方、イギリスの宗教改革では、国王がイギリス国教会の最高権威となりました。つまり、「教皇に従うのではなく、国王が宗教を支配する」という国家による宗教の管理が進んだのです。この点が、ドイツの宗教改革との大きな違いですね。

 

ドイツとイギリスの宗教改革の共通点

カトリックからの離脱

どちらの宗教改革もカトリック教会の影響力を弱めたという点では共通しています。ドイツではプロテスタントが誕生し、イギリスではイギリス国教会が成立したことで、ヨーロッパの宗教地図が大きく変わりました。

 

政治的な影響

宗教改革は単なる「宗教の変化」ではなく、国家と宗教の関係にも大きな影響を与えています。例えばドイツでは各領邦の独立性が強まり、イギリスでは国王の権力が強化されていますね。こうした流れが、やがて近代国家の形成につながっていくわけです。

 

こうして比べてみると、ドイツとイギリスの宗教改革は「宗教そのものを変えたのか」「政治的な独立が目的だったのか」という点で大きく違っていたんですね! でも、どちらもヨーロッパの歴史を大きく変えた重要な出来事だったことは間違いありません。歴史の流れって面白いですね!