
宗教改革といえば、真っ先に思い浮かぶのがマルティン・ルター(1483 - 1546)とジャン・カルヴァン(1509 - 1564)です。二人はカトリック教会の腐敗を批判し、新たなキリスト教のあり方を提唱しました。しかし、彼らの考え方には大きな違いがあり、それぞれの教えはルター派とカルヴァン派として発展していきます。
では、具体的に何が違うのでしょうか? 本記事では、二つの宗派の信仰の考え方や教会組織の違いをわかりやすく解説していきます!
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ルター派とカルヴァン派は、どちらもカトリックから独立したプロテスタントの宗派ですが、基本的な考え方に違いがあります。
ルター派は、「信仰による義」を強調します。つまり、「人は善行ではなく、神への信仰によって救われる」と考えました。ルターは、聖書こそが信仰の唯一のよりどころであり、カトリック教会のような聖職者の権威には頼る必要がないと主張しました。
また、ルター派は礼拝の形式に関してもカトリックの伝統をある程度残し、「万人祭司説」(すべての信者が神と直接つながることができる)を掲げつつも、教会の運営には司祭を必要としました。
カルヴァン派は、ルターよりもさらに徹底した改革を行いました。とくに重要なのが「予定説」です。これは「人が救われるかどうかは、神があらかじめ決めている」という考え方で、人間の努力や行いでは運命を変えられないとするものです。
また、カルヴァン派の教会は長老制度を採用しており、信徒の代表が教会を運営する仕組みになっています。これは「教会の民主化」とも言え、当時のヨーロッパ社会に大きな影響を与えました。
ルター派とカルヴァン派では、礼拝のスタイルにも違いがあります。
ルター派の礼拝は伝統的なカトリックのミサに近い形で行われます。聖書の教えを大切にしながらも、聖歌や儀式を重視しており、教会内には装飾も多く残っています。
カルヴァン派は非常にシンプルな礼拝を行います。偶像崇拝を徹底的に排除し、教会の装飾も最低限に抑えられました。賛美歌や祈りはありますが、カトリックのような儀式的な要素はほとんど残っていません。
ルター派とカルヴァン派は、それぞれの国や地域で異なる影響を及ぼしました。
ルター派は主にドイツや北欧で広まりました。ルターの考えに共感した諸侯(ドイツの領主たち)が自らの領地でルター派を受け入れたため、国家と結びついた宗教として発展しました。
カルヴァン派はスイス、フランス、オランダ、スコットランドなどで影響を与えました。とくにオランダやイギリスでは、カルヴァン派の影響を受けたピューリタン(清教徒)が生まれ、のちにアメリカにも渡っていきました。
ルター派とカルヴァン派は、同じ宗教改革の流れの中で生まれたものの、考え方や教会運営の仕組みに大きな違いがありました。ルター派は「信仰による義」を強調し、カトリックの伝統をある程度残したのに対し、カルヴァン派は「予定説」を掲げ、礼拝を極力シンプルにしました。また、ルター派はドイツや北欧で広まり、カルヴァン派はスイスやオランダ、イギリスなどに影響を与えたのです。こうしてみると、同じ宗教改革でも地域や思想によってさまざまな形に発展したことがわかりますね。