ルターって何した人?どんな考えをもってたの?【宗教改革人物伝】

マルティン・ルター(1483 - 1546)は、16世紀に宗教改革を始めたドイツの神学者で、プロテスタントの祖ともいえる人物です。彼の考えはカトリック教会のあり方を根本から変え、ヨーロッパの歴史を大きく動かしました。

 

では、ルターはどんな改革を行い、どんな考えを持っていたのか? 詳しく見ていきましょう!

 

 

マルティン・ルターの経歴

修道士から神学者へ

ルターは、若い頃に修道士となり、カトリック教会の教えを学びました。しかし、彼は「人はどうすれば本当に救われるのか?」という疑問を持ち続け、聖書を研究するうちに、カトリックの教えに疑問を抱くようになります。

 

「95か条の論題」の発表

1517年、ルターは「95か条の論題」を発表し、特に免罪符の販売を批判しました。カトリック教会では、「お金を払えば罪が許される」とする免罪符の販売が行われていましたが、ルターは「神の救いはお金では買えない」と主張したのです。

 

この出来事をきっかけに、カトリック教会とルターの対立が深まり、やがて宗教改革の大きな流れへと発展していきました。

 

ルターの考え(プロテスタントの基本原則)

ルターは、カトリック教会の教えに対抗し、3つの基本原則を打ち立てました。それぞれの考えがどのような背景を持ち、何を意味していたのかを見ていきましょう。

 

① 「信仰のみ」(Sola Fide)

ルターは、「人は信仰の力だけで救われる」と考えました。カトリック教会は「善行」や「教会の儀式」も救いの条件としていましたが、ルターはそれに異を唱えました。

 

この考えに基づき、以下のような主張がなされました。

 

  • カトリックでは、善行や教会の儀式が救いに必要とされていた
  • しかしルターは、「救いは神の恵みによるものであり、人間の行いで決まるものではない」と主張
  • そのため、免罪符や聖職者の権威による救済の仕組みは不要と考えた

 

この「信仰のみ」の考えによって、カトリック教会の救済システムが否定されることになりました。

 

② 「聖書のみ」(Sola Scriptura)

ルターは、「信仰のよりどころは聖書だけであり、教皇や聖職者の解釈に頼る必要はない」と主張しました。当時のカトリック教会では、聖書はラテン語で書かれ、一般の人々は読むことができませんでした。そのため、聖職者が聖書を解釈し、信者に教えるという仕組みになっていたのです。

 

しかし、ルターはこの体制を批判し、次のような改革を行いました。

 

  • 教皇や聖職者の言葉よりも、聖書そのものが信仰の基準であると主張
  • すべての人が聖書を読めるようにするため、ドイツ語訳の聖書を作成
  • その結果、信者が自分自身で信仰を持つことができるようになった

 

この「聖書のみ」の考えは、カトリック教会の聖職者の権威を大きく揺るがすことになりました。

 

③ 「万人祭司」(万人司祭主義)

ルターは、「すべての信者は神の前で平等」という考えを持っていました。当時のカトリック教会では、神と信者の間に聖職者(司祭)が立ち、彼らが信仰を導く存在とされていました。

 

しかし、ルターは次のように考えました。

 

  • 信仰とは、個人と神の直接的な関係であり、司祭を介する必要はない
  • 一般の信者も聖書を学び、自分の信仰を持つべき
  • この考えにより、カトリックの階層的な教会制度が否定されることになった

 

この「万人祭司」の考え方は、信仰の自由だけでなく、個人主義や民主的な思想の発展にもつながっていきました。

 

ルターの影響

ルターの宗教改革によって、カトリックとは異なるプロテスタント(ルター派)が誕生しました。この改革は単なる宗教の問題にとどまらず、次のような影響をもたらしました。

 

  • 聖書の翻訳が進み、各国の識字率が向上した
  • 信仰の自由が強調され、個人の自主性が重視されるようになった
  • カトリックの影響力が弱まり、各国で宗教戦争が発生する要因となった

 

こうしてみると、ルターの宗教改革は単なる「信仰の問題」ではなく、社会全体の変革につながっていたことがわかりますね。

 

ルターは、信仰のみ・聖書のみ・万人祭司という考えを打ち出し、カトリックのあり方を根本から変えたんですね! 彼の改革は、個人の自由や教育の発展、さらには社会構造の変化にも影響を与えたのがとても興味深いですね!