知っておくべき宗教改革期の中心組織・団体

宗教改革期の中心組織・団体

このカテゴリーでは宗教改革期の中心組織と団体に関する情報をまとめています。どのような団体が改革運動を推進し、どのように社会や教会に影響を与えたのかを探っていきたいと思います。

知っておくべき宗教改革期の中心組織・団体

宗教改革は、16世紀のヨーロッパで起こった大きな宗教運動でしたが、それを推進したのは個々の宗教改革者だけではありませんでした。各地でさまざまな組織や団体が誕生し、それぞれの立場から改革を進めたり、対抗したりしました。今回は、宗教改革期に重要な役割を果たした組織や団体について詳しく見ていきましょう。

 

 

プロテスタント側の組織

宗教改革を推し進めたプロテスタント側には、各地域で異なる特徴を持つ組織が存在していました。

 

シュマルカルデン同盟

ドイツ諸侯によるプロテスタント連合で、カール5世(神聖ローマ皇帝)に対抗するために1531年に結成されました。マルティン・ルターの宗教改革を支持する諸侯や都市が集まり、カトリック側との対立が激化しました。最終的には1546年からのシュマルカルデン戦争で敗北しましたが、1555年のアウクスブルクの和議によってルター派が公認される道を開きました。

 

ジュネーヴ教会

ジャン・カルヴァンの指導のもとで形成されたプロテスタント教会で、スイスのジュネーヴを拠点としていました。カルヴァンの神権政治のもとで運営され、厳格な道徳規律が課されていました。この教会はカルヴァン派(改革派教会)の中心となり、フランス、オランダ、スコットランドなど各地に影響を与えました。

 

ユグノー

フランスのカルヴァン派プロテスタントを指す名称で、16世紀のフランスで急速に勢力を拡大しました。しかし、カトリック勢力との対立が激しく、1562年から1598年にかけてユグノー戦争が勃発しました。最終的にナントの勅令(1598年)によって一定の信仰の自由を得ましたが、1685年にはルイ14世によって勅令が撤廃され、多くのユグノーが国外へ亡命しました。

 

ピューリタン

イングランドにおけるカルヴァン派の厳格な宗教運動で、イングランド国教会の改革を求めました。17世紀には清教徒革命(ピューリタン革命)を引き起こし、国王チャールズ1世の処刑や共和制の成立につながりました。やがて、弾圧を受けた一部のピューリタンがアメリカへ渡り、プリマス植民地を建設しました。

 

オランダ改革派教会

カルヴァン派を基盤とするオランダのプロテスタント教会で、スペインからの独立運動(八十年戦争)と結びつきました。オランダ独立後は国家の主要な宗教となり、北ヨーロッパやアメリカにも広まりました。

 

カトリック側の組織(対抗宗教改革)

プロテスタントの拡大に対して、カトリック教会も対抗宗教改革を展開し、多くの組織が活動しました。

 

イエズス会

カトリック教会の教育・布教を担った修道会で、1534年にイグナティウス・ロヨラによって設立されました。特に教育機関の設立に力を入れ、ヨーロッパ各地で大学や学校を運営し、カトリック信仰の強化に貢献しました。また、海外宣教にも積極的で、日本ではフランシスコ・ザビエルが布教活動を行いました。

 

トリエント公会議

カトリック教会の内部改革を進めた会議で、1545年から1563年にかけて開催されました。この公会議では、プロテスタントの教えを否定し、カトリックの教義を再確認するとともに、聖職者の腐敗を正すための改革が行われました。これにより、カトリック教会は新たな教会のあり方を示し、信仰を立て直すことに成功しました。

 

宗教裁判所(異端審問)

カトリックの教えに反する思想を取り締まるための機関で、異端者を裁く役割を果たしました。特にスペイン異端審問は厳格で、プロテスタントやユダヤ教徒、イスラム教徒などが迫害を受けました。

 

スペイン・ハプスブルク家

カトリックを強く支持したヨーロッパの大国で、プロテスタントとの対立を深めました。スペインのフェリペ2世は、カトリックの擁護者としてオランダのプロテスタントを弾圧しましたが、最終的にオランダは独立を果たしました。

 

宗教改革期の組織・団体のまとめ

分類 組織・団体名 主な役割
プロテスタント シュマルカルデン同盟 ルター派の保護とカトリックへの対抗
プロテスタント ジュネーヴ教会 カルヴァン派の中心地
プロテスタント ユグノー フランスのカルヴァン派
カトリック イエズス会 教育・布教によるカトリック信仰の強化
カトリック トリエント公会議 カトリックの教義確認と改革

 

宗教改革は、個々の宗教改革者だけでなく、多くの組織や団体の活動によって進められました。プロテスタント側はカトリックの支配からの独立を目指し、各地で新しい教会や連合を形成しました。一方、カトリック側もイエズス会の布教活動トリエント公会議の改革を通じて対抗し、勢力を維持しようとしました。こうしてみると、宗教改革は組織的な運動でもあり、ヨーロッパ全体の歴史に大きな影響を与えた出来事だったといえるでしょう。