「宗教改革」といえば、ルターやカルヴァンの活動を思い浮かべるかもしれません。しかし、宗教改革は国ごとに異なる形で進みました。それぞれの国の政治的・社会的状況によって、宗教改革の特徴や目的が大きく異なっていたのです。今回は、ヨーロッパ各国の宗教改革運動の違いを見ていきましょう。
ドイツ(神聖ローマ帝国):信仰改革と教会の独立
ドイツの宗教改革はマルティン・ルターを中心に展開され、「信仰のみ」を重視した運動でした。
特徴
- 1517年、ルターが「95か条の論題」を発表し、カトリック教会の腐敗を批判
- 免罪符の販売を否定し、「信仰のみ」による救いを強調
- 聖書をドイツ語に翻訳し、一般の人々が読めるようにした
- 印刷技術の発展により、宗教改革の思想が急速に広まった
目的
- カトリック教会の権威から独立し、純粋な信仰を取り戻すこと
- 各地の領主がローマ教皇の支配を脱し、宗教的・政治的に独立すること
スイス:カルヴァン派による厳格な改革
スイスではフルドリッヒ・ツヴィングリとジャン・カルヴァンが宗教改革を推進し、ドイツのルター派とは異なる特徴を持っていました。
特徴
- 「聖書のみ」を基盤とし、偶像崇拝やカトリック的な要素を徹底的に排除
- カルヴァンは「予定説」を主張し、救済はあらかじめ神によって決められていると考えた
- ジュネーヴを「プロテスタントのローマ」とし、厳格な道徳規律を導入
目的
- カトリックの伝統を徹底的に否定し、より純粋なキリスト教社会を作ること
- 信仰だけでなく、政治と社会のあり方も変革すること
イングランド:王権と宗教の結びつき
イングランドの宗教改革は、他の国とは異なり政治的な要因が大きく関係していました。
特徴
- ヘンリー8世がローマ教皇と決別し、1534年に「国王至上法」を発布
- カトリック教会から独立し、イングランド国教会(アングリカン・チャーチ)を創設
- ヘンリー8世の死後、エドワード6世の時代にプロテスタント化が進むが、メアリー1世の時代にカトリックが復活
- エリザベス1世が国教会の確立を進め、プロテスタント国家として定着
目的
- ヘンリー8世が離婚を認められなかったことをきっかけに、王権の強化を目的として宗教改革を推進
- カトリックから独立し、国王が宗教の最高権威者となる体制を築くこと
フランス:ユグノーとカトリックの対立
フランスではカルヴァン派プロテスタント(ユグノー)が拡大し、カトリックとの宗教戦争が激化しました。
特徴
- カルヴァンの影響を受けたユグノーが各地で勢力を拡大
- 1562年から1598年にかけてユグノー戦争が勃発
- 1572年、カトリック勢力がユグノーを大量虐殺した「サン・バルテルミの虐殺」が発生
- 1598年、アンリ4世がナントの勅令を発布し、ユグノーに一定の信仰の自由を認めた
目的
- カトリック教会の影響力を抑え、プロテスタント国家を築くこと(ただし失敗)
- 最終的にはカトリックを優勢としながらも、一定の宗教的寛容を確立
ネーデルラント(オランダ):独立と宗教改革
オランダでは、スペインの支配下で宗教改革が独立運動と結びつきました。
特徴
- カルヴァン派が強く支持され、プロテスタント化が進む
- スペインのカトリック王フェリペ2世がプロテスタントを弾圧
- 1568年から八十年戦争が始まり、オランダがスペインから独立
目的
- 宗教改革を通じてスペインの支配から独立し、独自の国を作ること
- カルヴァン派を中心とした自由な信仰の確立
各国の宗教改革の共通点と違いまとめ
共通点
- カトリック教会の権威への反発(贖宥状の批判、聖書中心の信仰)
- 新たな宗教の形成(ルター派、カルヴァン派、国教会など)
- 活版印刷による思想の拡散(ルターの聖書翻訳、カルヴァンの『キリスト教綱要』など)
違い
国 |
宗教改革のリーダー |
主な特徴 |
ドイツ |
ルター |
信仰の純粋化、聖書重視 |
スイス |
カルヴァン、ツヴィングリ |
厳格な宗教生活、予定説 |
イングランド |
ヘンリー8世 |
政治的動機による宗教改革 |
フランス |
ユグノー |
カトリックとの宗教戦争 |
オランダ |
カルヴァン派 |
宗教改革と独立運動の結びつき |
ヨーロッパ各国の宗教改革は、それぞれの歴史や政治と深く関わっていました。ドイツやスイスでは信仰の改革が中心でしたが、イングランドでは王権強化、オランダでは独立運動と結びついていたのですね。こうしてみると、宗教改革は単なる宗教の変化ではなく、社会や政治の大きな転換点でもあったといえるでしょう。